重岡大毅のファンとして『溺れるナイフ』を観て思うこと

溺れるナイフ』DVD&Blu-ray発売おめでとうございます。映画を初めて観た時から何か書かなくてはと思っていたのですが、改めて重岡大毅というアイドルについて考える良い機会になったのであまり整理されていないけれど、書き残しておこうと思います。

 

重岡くんが『溺れるナイフ』という映画に出るらしい、という噂を耳にしはじめてから、楽しみにしているうちに、あっという間に公開日になってしまった。

公開初日、朝一番の上映を観に行った。スクリーンに映った大友を見て、私は涙を止めることができずにいた。理由はよくわからなかった。

 

重岡くんの演技はとても自然に見えて、以前から目にしていた重岡くんの演技への称賛の声に「なるほどなぁ」と共感した。よく、俳優は役が憑依する、といった言い方をされることがあるけれど、そういうことよりは、重岡くんと大友の輪郭が溶け合うような、そんな演技だと思った。

 

映画のパンフレットでは重岡くんが大友役に抜擢された理由が「夏芽にとって陽だまりのような存在である大友」、「重岡の(中略)温かな感受性と優しさに大友の太陽のような明るさと優しさが重なった」などの言葉で説明されている。

重岡くんは大友のことを「すごい」と言っていると同時に「かなり自分に似てる部分が多い」とも言っている。映画の大友を見た時、一体どこまでが重岡大毅でどこからが大友勝利なのだろうと思うことが度々あった。それが、先ほどの「重岡くんと大友の輪郭が溶け合うような演技」だと思った理由だ。しかもメイキングを見れば、「現場の太陽」なんて言われていたらしいだけに、ますます二人の境目は曖昧に見えて分からなくなる。

「陽だまり」と言えば、重岡くんが「ボクら」で「キミはキミのために生きるんだ ボクはキミの陽だまりになる」とソロを歌っていることを思い出す。

それはもしかしたら、重岡くんがアイドルの「重岡大毅」として見せている姿がどの角度から見ても人の目に「陽だまり」として映る、ということなのではないだろうか。

 

ところで、わたしは重岡くんのことを「夢と現実が交差する」人だと思っている。 それは、重岡くんが夢を見せるアイドルの顔と、いかにも普通の人間らしい現実味のある面を絶妙に持ち合わせているからだ。掴めたと思ったら簡単にその手を離れていくように思える。だから、もっと知りたくてずっと追いかけてしまう。それが重岡くんのファンでいることの醍醐味だ。

重岡くんが大友勝利と重岡大毅の境目が分からないくらい自然に大友をやってのけたのが、「夢と現実が交差する」その一端を見せてもらったような気がして、ますます目が離せなくなってしまうなぁと思う。

 

溺れるナイフ』を一重岡大毅のファンとして観て、いつかの取材で演技を頑張りたいと言っていた通り、重岡くんが演技で頑張っている姿を見ることができて本当に嬉しく思った。

そして、重岡くんがアイドル「重岡大毅」として貫きたい、見せていきたいと思っている姿を再確認することができ、その姿を信じて応援したいと改めて思うことができた。


溺れるナイフ』この映画で、重岡くんの魅力が太陽の光のように遠くまで届いて、より多くの人に伝わりますように。